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第16章 海や山の幸

奉化の赤貝

赤貝(アカガイ)の別名は泥蚶、芽蚶、血蚶である。寧波沿海の各地に産出しているが、奉化産赤貝は品質が最も良い。寧波の名物である。

赤貝は貝類の動物、海産の二枚貝である。殻は白く厚くふくらむ。殻表は黒褐色の毛状の皮をかぶり、18~21本の放射状の紋をもつ。血液が赤いので肉は赤みを帯びる。宴会上の欠けない美味料理である。

奉化の赤貝は歴史が長い。唐元和四年(809年)、奉化の赤貝は品質が良いので、「貢ぎ物」と指定された。毎年一石五斗の赤貝を首都長安に送り、寧波から首都長安まで千キロメートルの距離があり、道中の送達役所が沢山あった。唐元和十五年(820 年)、越州刺使兼浙江観察使の元稹が民衆の苦しみを理解し、穆宗に上書した。赤貝の役所を造るため「人が疲れに堪えられない」と言った。唐長慶三年(823年)11月、朝廷が「赤貝役所」を廃止したので、奉化の民衆がそのニュースを聞き、「道路で歌い踊りをして」と大いに喜んでいた。

奉化赤貝の養殖区は主に鮚埼、純湖にある。1292年の『四明続志』には、「芽蚶有り、殻にはうねの形が細かく配列、肉が肥え、殆ど鮚埼から産出、冬にも有る。亦、砂浜に稚魚を撒いたものは、之を蚶田と謂う。」と記録されている。この一帯は象山の洪底部獅子口に位置するため、温度と塩度が適し、砂浜は沈泥を主として、水質が良く、餌は豊富で、赤貝の成長に適する地域である。赤貝は肉が肥えるし、血が新鮮である。泥臭い匂いがしなく、味はあっさりしている。古詩の『赤貝』のように「筋明らかな赤貝、東海の砂浜に大いに産出。奉化のは尤も有名で、味が良くて美味しい。昔、元和年間には、度々皇帝の台所に、まさに賢明な長官が有り、上奏したら貢物を免れた」という。

奉化には赤貝の人工養殖は、およそ元代に始まった。明代に入ると、その養殖が一定の規模に達した。明の嘉靖『奉化県誌』には「明洪武二十四年(1391年)、赤貝の田は4ムー2分5厘、赤貝の砂浜は36ムー有り」と。赤貝はなめらかな潮、風波が小さい淡水の湾と河口の近くの軟砂に生息する。食は珪藻類を中心に、約2年の養殖で食用できる。『蚶子』という古詩には、「農作を赤貝の養殖と比べ、二年間の歳月を経て、新しい殻筋が絶えずに生まれ、錯綜の曲線が更新しつつある」と書いてある。養殖方法は普通は水たまりを築いて、水を蓄えて養殖する。稚魚は山東文登、栄城、乳山から購入しているが、楽清県、玉環県からも少し仕入れる。冬に稚魚を入れ、そして小寒~大寒の間に捕獲すれば、最も肥えるといわれる。

古代には、赤貝を「希世の珍品」とされている。栄養はとても高い。肉質には62.5%の蛋白質が含まれ、18種類のアルミ酸がある。そしてビタミンB1、B2、B12、A、Cなどがあり、補血?健胃の効果がある。

寧波青蟹

青蟹の学名は「鋸縁青蟹」、「黄甲蟹」と呼ぶ。また、「蝤蛑」とも言う。甲羅が硬く、生息地域は近海と砂泥域である。潮の流れから泥に潜り、淡水域に棲む。寧波青蟹は、体が大きく、殻が青く、肉が肥えて美味しく、寧波の海産名物である。

青蟹の甲殻は楕円形を呈し、体が平たくて、毛がない。頭と胸は発達して、二つのはさみは力強く、後足はオールのようである。であるから、漕ぐ櫂とも呼ばれている。青蟹は一年中捕獲されるが、毎年旧暦の八月三日~二十三日の間には、殻が硬くて足が肥満になる。この間の青蟹はどれも肥えふとるから、民間では「八月の青蟹が一羽の鶏に匹敵する」という俗説がある。有名な詩人である蘇東坡が、『蝤蛑』に「青蟹の甲でも酒のつまみに、はさみでも最高のご馳走」という詩句を書いた。

青蟹は生まれつきの狂暴で、攻撃性を持つものである。伝説では、昔、寧波には青蟹の廟があって、某の漁師が一匹の巨大な青蟹を捕獲したが、そのはさみに挟まれて死んだという。後の人々は、それを記念するため廟を立てたという。もう一説では、青蟹が虎と戦いできるから、「八月の青蟹が虎のように剛健である」という言い方が生まれた。まるで古詩『煮蟹』のように、「釜の中で這い、釜の底に薪を入れ、恒に横行を振舞い、今夜災いの時」と伝えられている。

寧波人は昔から青蟹を捕獲してきた。『象山県誌』によると、「胡家峙には二十軒の漁民があり、本籍の船は三隻、青蟹を捕まえて上海、寧波へ販売する。」という。青蟹は夏に卵を産み、冬は洞穴で冬眠する。従って、青蟹の生存習慣によって、様々な漁獲の方法がある。網で捕まえることができ、泥砂の穴を探して捕まえることもできる。また、穴を造って捕らえる。冬は、青蟹の冬眠を利用して、穴を掘って捕る。しかし、天然蟹の数が限られているから、近年、寧波沿岸部では、人口養殖を行い、その規模は数千ムーに広がった。

青蟹は肉が肥え、旨味が美味で、栄養が豊富である。最大のは500グラムに達する。夏?秋の際、酒のつまみとしても、客をもてなす料理としても、最高の美味料理であるろう。また、女性の「出産」と子供の「遺尿」の良薬にもなる。

長街蛏子

蛏子とは、アゲマキガイ(揚巻貝)といい、軟体動物に属し、海産の二枚貝である。殻の表面は脆くて薄い。殻両端の開いた円筒形、マテガイ科に属する。寧波沿海一帯は浅瀬が多いから、アゲマキガイの養殖に有利である。これも寧波の特産品である。寧海の長街あたりは、三門湾に臨んで、大量の海水と淡水に恵まれ、沈泥を主として、豊富な餌はアゲマキガイの成長を促し、その辺で大きくて新鮮なアゲマキガイが捕れるから、長街蛏子という名を得た。アゲマキガイは都市と農村住民の好物である。

寧海長街のアゲマキガイ養殖の歴史が悠久である。宋の嘉定年間、即ち西暦1027年前後、寧海人学者の著書である『風習編』によると、「近くでアゲマキガイと牡蠣を捕らえ、自給しながら他の郡へも販売する」という当時の実態は、この辺りが千年前にすでにアゲマキガイを産し、商品化していることを裏付けている。養殖の時間と言えば、清代の『寧海県志』には、「アゲマキガイはドブガイに属し、田で養殖したのがアゲマキガイと謂う。形は細くて長い、中指のようである。西施の舌と呼ばれ、其の美を言い表す」と記載されている。

アゲマキガイは、海水の塩度が低い河口、または内湾で成長しやすい。アゲマキガイの養殖は、波が少なく潮流が流れるところと、淡水のある浅瀬、泥或いは砂のあるところが最適である。清明節の前後に卵を放し、次の年の5月以降、1キロに100匹ぐらいの数になれば捕らえる。そのうち、1~3歳までのアゲマキガイが養殖できる。寧波ではアゲマキガイ養殖の面積が大きく、寧海県だけでも、1986 年に 3 万ムーのアゲマキガイを養殖していた。水揚げは 1万トンに達している。自給のほかに隣の県にも出荷しているという。

アゲマキガイは美味で、栄養が豊富である。測定の結果によって、百グラムの中で蛋白質7.2グラム、脂肪1.1グラム、炭水化物2.4グラム、糖分3グラム、カルシウム133ミリグラム、燐114ミリグラム、鉄227ミリグラム、カロリー200あるという。また、アゲマキガイは一定の医薬効果もある。アゲマキガイは肉が甘くて塩辛い。産後に補腎と除熱の効果があり、殻は胃病と喉痛みを治療できる。

アゲマキガイの調理法は簡単である。養殖場から捕まえたアゲマキガイをきれいに洗い、その後、塩漬けにする。それから薄い包丁で背中を切り開いて、少しゆでる。最後に葱を掛けて食用できる。肉が柔らかくて、独特な味がするから、良いつまみとされる。

西店牡蠣

牡蠣とは、蛎黄とも言い、軟体動物に属し、イタボガキ科の二枚貝の総称である。左殻はよく膨らんで海中の岩石などに付着し、右殻は割合に平らでふたのようになる。殻の表面には健全な薄い板状の成長脈。主な種類はマガキで、その他スミノエガキ?イタボガキなどもある。牡蠣は山海の珍味のなかで「下八珍」の一つとされ、海中の岩石や杭などに付着、潮が来るとき、貝が開くから、蛎房とも呼ばれる。

牡蠣は天然と人工養殖の二種類に分けられ、天然のは親指ぐらいの大きさで、殻を開いたら、小さい肉が取れる。人工養殖の牡蠣は、時蒔き、ひび建て、垂下式などの方法で養殖し、2年後採ることができる。

寧海西店では牡蠣養殖の歴史が700年以上ある。『寧海県志』によると、「鉄江の中に島が二つあり、それを石孔双山と言う。県まで38里あり、二つの島は高く聳えて、印の如し。内の一つの島は平らで、そこに古廟がある。宋の進士の馮唐英はそこで避難したとき、岩に付着した牡蠣を見て、住民に石を積んで養殖させた。」という。そして、「銑江山の牡蠣は最も優れている」と絶賛した。その時から、牡蠣はこの地域の海産物として有名になった。県志で書かれた「鉄山」は、象山港の獅子口に位置し、水はきれいで、波は平穏で、広々とした浅瀬である。20 本以上の川が港内に淡水を注ぎ、土質は肥沃で、貝類養殖の優良な場所である。沿岸部の住民が代々牡蠣を養殖する。寧海の西店は、浙江省において最大の牡蠣養殖場である。養殖面積は 1.5 万ムーあり、年間700万トンを生産している。全県の養殖面積と生産高の半分以上を占める。寧海県は、全省の牡蠣の養殖面積と生産高の68%と41%を占め、特に鉄江あたりの牡蠣は、青玉のような肉が肥えて、品質がもっとも良い。

牡蠣の肉は栄養豊富な海産品で、美味である。百グラムに蛋白質4.8、脂肪2.2、炭水化物10.7、カロリー342.8、カルシウム165ミリグラム、燐11ミリグラム、ビタミンA1500、ビタミンB2は0.192ミリグラムあって、「海の牛乳」と呼ばれる。食べ方は生でもいいし、調理してもいい。または、卵と炒めても、うどんの具を作ってもいい。「牡蠣炒め卵」は寧波の名物である。冬と春は牡蠣の季節。特に寧波人にとって、牡蠣は春節の食卓に欠かせない郷土料理である。

牡蠣は薬剤にも使われている。『本草綱目』には、牡蠣は虚弱に効き目があり、解毒と喉を潤す効果がある。また、その殻は収斂の効果があるという。

黄泥螺

泥螺(巻貝)の学名は「吐鉄」と言う。『辞源』によれば、「寧波は泥螺を産出、その形は蚕の如し、海産物に勝る」という。「吐鉄」について、「軟体動物で、一名は泥螺。俗称で黄泥螺、殻は薄く、口に土、墨は鉄みたい。桃の花が咲く時期、一番美味い」という解釈がある。巻貝は寧波の名物である。寧波学者の全祖望が「毎年梅雨明け時、巻貝の旬」と言っている。

寧波沿海では大量の巻貝が産出されている。毎年桃狩りの季節になると、巻貝が「鉄」を吐き、新鮮な肉質の巻貝まで成長でき、「桃花泥螺」を高級品とする。そして慈渓竜山の巻貝が良品で、俗称で「竜山黄泥螺」という。

竜山巻貝について、すでに宋の時代に記録されている。文献によると、三北の黄色い巻貝は桃狩りの時期に最も良い。この時期の巻貝は肉が新鮮で、無菌、美味である。中秋の時の「桂泥螺」は桃花泥螺に及ばないが、粒が大きく美味しい。竜山の巻貝がなぜそんなに美味しいのか。慈渓沿海には大量の泥砂があり、銭塘江、曹娥江などの沖積によって形成されたもので、土壌は肥沃で、栄養が豊富である。竜山あたりは、特にその自然条件に恵まれているため、良品の巻貝が産出できる。明代の学者の張如蘭が『吐鉄歌』に、「土非ず、鉄非ず、肥えは沢の如し、とても新鮮である。初めて寧波に来たとき、魚の宴会のようである。皿の中には、巻貝の瑪瑙。巻貝を酒のつまみとし、食事に欠かせない美味しいものだね」と賞嘆した。

泥螺は、柔らかい泥や餌の豊富な砂浜に生息する。つまり、水質が良い、波の少ない浅瀬が泥螺の生息地である。泥螺の収穫は、一年中何時でもできるが、三月の桃が咲くときと八月桂が咲くとき、大量に産出できる。泥螺は天然貝にあたるので、捕獲するとき、指三本で、泥に差し込み、中指で挟みながら獲る。もう一つの方法は、三角形の網で獲る。

泥螺の食用方法は殆ど塩漬けである。泥螺を清浄してから、乾燥後、器に入れ、塩漬けをする。密封して保存、一週間後に食用できる。開封しないかぎり、長く保存できる。美味の泥螺は、古詩にもよく登場された。

新鮮な泥螺汁は美味しい。泥螺、水、醤油、葱だけでも食べられ、其の味は牡蠣に劣らない。企業家の虞洽卿は竜山に生まれたそうで、子供のころはよく泥螺を獲ったとのことである。彼は地元の人に「大泥螺」という渾名を付けられた。また、「竜山の阿徳哥よ、渾名は大泥螺、電話は寧波まで、列車は曹娥まで」と、方言で歌を残した。

泥螺の体と粘液には毒を含んでいる。塩?みそ?醤油などで漬けたら、毒素を取り除くことができる。一部の人が生の泥螺を食べた後、浮腫みの症状を起こし、足指が硬化の病状が現れる。それを寧波語で「泥螺肥り」と言う。数日後にその症状が消える。そのため、泥螺の食用法は、酢を掛けて食べる。酢を掛けると、殺菌とともに味付けにもなる。

泥螺は栄養が豊富である。また、薬の効果も持っている。『本草綱目拾遺』によると、「泥螺は肝臓と腎臓を補って、肺を潤し、明目、唾液の分泌を促進する機能を持つ。」という。民間では、酒で漬けて食べる方法もある。それは、喉頭炎と肺結核を予防することができるという。

新風搶蟹

新風搶蟹は、紅膏搶蟹ともいう。それは冬と初春の間に捕獲した新鮮なワタリガニを材料に、特別に加工した食品で、国内外に名を馳せた寧波名物である。

新風搶蟹の制作方法は、ワタリガニをきれいに洗い、口を上向けにして、一列に容器に並べ、一層ずつ塩を掛け、最後に汁と塩水を入れる。水はワタリガニを浸す程度で、漬物石を乗せて、5日間に漬ければ食用できる。新風搶蟹は生きている蟹を漬けたものであるから、味が旨い。塩の量は、多すぎると塩辛い、少なすぎると変質しやすいから、季節によって適量に使う。また、漬ける時間にも気をつけなければならない。

新風搶蟹は、過去の漁民の自給食品であるが、近年以来、大量に生産して市場へ供給するようになった。

新風搶蟹は、赤い蓋で覆い、肉が透明で、塩っぽく甘い食品である。食用するとき、酢と生姜を掛ければ、もっと美味しい。

奉化の水蜜桃

寧波は山を背に、海に面しているため、物産が豊富である。ところが、多くの果物の中で、奉化水蜜桃が一番有名である。そして「美酒の玉露」と「西王母の珍品」との美称で世に名が知られている。

奉化水蜜桃の特徴は、実が大きく、皮が薄い。色合いが鮮やかで、水分が多く、いい香りがする。

奉化水蜜桃の栽培史は、2千年前に遡ることができる。『幽明録』によれば、「漢の明帝永平五年、剡県の劉晨と阮肇が共に天台山に入って、谷皮を取るため、路に迷って帰れなかった。13 日を経て、食べ物がなく、死にそうであった。山で桃を見つけ、それを食べて助かった。」という。文中の「天台山」は、現在の天台山と四明山の総称を指す。それによって、奉化桃の栽培は悠久な歴史を有することがわかる。

奉化桃について、長汀あたりの桃が最良である。「西王母の珍品」と呼ばれた桃は、次のような伝説がある。

昔、長汀の近くに一族が住んでいた。息子の名字は水といい、名前は蜜という。清貧な生活を送っていたが、勤勉でしっかりした男である。ある年、冬に大雪、母は突然病気で倒れ、日に日に重くなる。母が気息奄々とした時、息子に桃を食べたいと言った。水蜜は速やかに桃を探しに行き、どうしても見付からない。桃の木の下で悩んでいるうち、ちょうどその時、西王母の五千歳の誕生日にあたり、弥勒仏が仙桃を食べ終わった後もう1個の桃をひそかに持ち帰った。弥勒仏は観音菩薩の教えをいただき、その桃を水蜜に贈った。仙桃を母に食べさせたら、母の病気がすぐ治った。そして紫色の桃の核を菜園に植えた。数年後、皮が薄く、核が紫で、肉が肥え、汁が甘く、良い香りの大きい桃が実った。この桃は西王母からもらったものだから、「西王母の珍品」と呼ばれている。更に、奉化の孝子である水蜜が一番先に栽培したため、それを「奉化水蜜桃」と言う。

勿論、これは民間の美しい伝説にすぎない。実は、明?清の間、奉化の桃は主に赤桃と白桃であった。清の光緒年間には、浙江省東陽県には張崇銀という園芸人がいて、奉化の雪竇山三十六村に来て、この辺の山や肥えた土地などを見て、上海から優良な「上海竜華水蜜桃」の品種を導入した。そして、地元の最も優良な桃と接種し、長年の栽培と改良によって、今日の国内外に名を知られる奉化玉露水蜜桃になった。その後、相次いで接種栽培し、県内全体に普及した。品種は、最小の一種類から今日の平頂玉露、玉露蟠桃及び黄桃、皺葉黄露など、40種類以上ある。

奉化桃の栽培と摘み方には、重要な方法がある。初めは苗を育て、品種を選び、接種し、1年目には、良種を培養するため、花蕊を落とす。2年目には、良種を保ち、劣種を淘汰するため、再度花蕊を落として、少数の花しか残さない。3 年目には、大切に愛護する。虫害とさらしを防ぐため、紙で桃を包み、玉のような美味しい桃が成熟するまで育てなければならない。木の上に熟した桃が一番美味しい。薄い皮を剥いたら、甘い玉液が口に溢れ、止めようとしても止められないであろう。桃は栄養が豊富である。『本草綱目』によれば、桃は人体の胆汁の分泌を増進させ、胃腸を働かせ、便秘の効果があるという。

慈渓の山桃

山桃は寧波の名物である。特に余姚?慈渓の山桃が最も有名である。

寧波の山桃は、歴史は悠久で、名高い。余姚の河姆渡文化遺跡の中から山桃を発見したため、7000 年前には地元の人がすでに山桃を食用したことがわかる。山桃に関する文献は、2000 年前に遡る。漢の辞賦家司馬相如は『上林賦』の中で、山桃を貢ぎ物と称賛した。蘇東坡も嘗て山桃に「福建?広東省のレイシ、西涼の葡萄は呉越の山桃に及ばない」と評価した。明代の王象晋が『群芳譜』に、「山桃は、会稽のが天下の冠と為す」と言った。また、『能改斎漫録』には、「越州(唐は余姚で越州を置いた)の山桃が最良、現地人が之を楞梅と謂う」と記録されている。旧『浙江通志』にも、「今余姚の燭湖(の山桃)が最良、次は肖山」と書かれた。

山桃は3、4月に開花、5、6月に果実が実る。夜中に開花し、昼間になると凋み落ちるから、匂いだけ感じられ、鑑賞しにくい。山桃(楊梅)の由来について、定説がない。一説では、花粉を受精させない梅は、その葉が水楊子に似て果物が酸っぱいから、受精させた梅を楊梅と呼ばれた。もう一説は、伝説から誕生されたものである。昔、天上界には果物の仙女がいた。ある日、彼女は悪魔に拉致されたが、幸い余姚の猟師の青年に救われ、二人が結婚して、幸せな生活を送っていた。家の近くに梅湖があるため、仙女に梅珠という名前をつけた。その後、仙女は悪魔に騙され、山から投げ落とされた。死ぬ前に、自分を木下に埋葬するようと猟師に言った。猟師が涙を浮かべ、仙人を埋葬した後、仙人のため復讐をして、悪魔を除いた。翌年、木本に仙人を埋葬した木には、個1個の紫色の果物が成熟した。その果物は、甘くて酸っぱい、美味しい。この果物は梅珠が変わったものであろうと、地元の人々が言い伝えられている。仙人はきっと地元の人々に自分と猟師の分離の苦を忘れられないように、皆に幸せを与えたに違いない。後に、この果物を楊梅と呼ばれるようになった。

余姚と慈渓の山桃は肉質が柔らかで甘い。形は玉のようで、色は瑪瑙のようである。古くから文人に賞賛されている。陸遊や楊万里など、宋代の有名な詩人たちが皆山桃を題材に詩を書いた。

寧波の山桃は上品な果物である。慈渓の霊湖から余姚馬渚までの約40キロの丘陵地帯には、山桃の密集地である。品種は白?ピンク?赤?黒の四大種類ある。黒いのは、烏種に属し、熟したら紫と黒になり、黒くわいに似る。肉質が柔らかく、汁がたっぷり、甘くてすっぱい、種が小さくて実が大きい。赤色のは、熟したら赤くなる。肉質が柔らかく、酸っぱい。ピンクの山桃は、熟したらピンク色に変わる。肉質が柔らかく、汁が多い。甘さは丁度良い。白色の山桃は、水晶楊梅とも言い、白くて美味しい。

寧波の山桃は、浙江省東部地域及び海外にも名が知られている。山桃には、豊富な炭水化物、酒石酸、ビタミンCと多種のビタミンBを含み、鉄の量も多い。『本草綱目』によれば、「山桃は渇きをいやし、五臓を調整、胃腸を清潔に、心を休ませる」との効果がある。山桃は新鮮なうちに食べれば、最も美味である。また、山桃乾し、ジュース、山桃味噌、山桃酒などを作ることができる。山桃酒には、「疲労解消、避暑、寒気を除去」という働きがある。人々はよく土産として親友に贈る。山桃のジュースには、渇きをいやし、避暑などの効果もあるから、夏の最高の飲み物とされる。

山桃は寧波の名物として、色が鮮やかで、美味であるから、古くから寧波人の故郷を偲ぶ対象になる。明の時代に、孫升という人が北京で役人をした時、毎年山桃を食べたくて食べられないため、「故郷の山桃が紫霞ほど美しく、燭湖の山桃は最高。官服を着てから、一度も口にしたことはない」という感慨を込め、詩を作った。また、寧波には、「梅の種を投げて梅を描く」という物語を伝えている。鎮海には姚燮という有名な画家がいた。ある日、彼は明の学者龔自珍の『病梅館記』を読んだ時、友達に梅の絵を頼まれた。当時、山桃の季節で、姚燮は山桃を食べながら、その実を蚊帳の上に投げた。食べ終わると、蚊帳が真っ赤に染まった。彼はついでに梅の枝を描いた。結局、素晴らしい山桃の絵を完成した。故郷を離れた多くの寧波人が、山桃を食べたくて、親戚などに頼んで持ちかえってもらったという。

奉化の里芋

浙江省の人々は「三関六埠頭を走り、奉化の里芋を食に」という俗語で、自分の遊歴と山海珍味を食した経歴を喩える。そして、奉化の里芋を食べたことを誇りにする。

里芋は、サトイモ科の一年生作物で、その原産地は東南アジアにあり、秦?漢の頃に渡来し、我国の南方に多く栽培される。奉化の里芋は、奉化の伝統的な特産物で、国内外で名高い。そして蕭王鎮のが品質最良である。

文献によると、奉化の里芋は700年以上の栽培史があるという。陳著という奉化人の『収芋偶成』には、里芋のことを記されている。1773 年の『奉化県志』によれば、「サトイモ、種は日本から来ている。熟したサトイモを取って粉を作り、数十年置いても腐らない。飢饉に備えることができる。」という。

昔、奉化にある金持ちがいて、千ムーの畑を持っていたが、息子はニートで、だらしないため、自分が死んだら、この子はきっと家を潰して餓死するのであろうと、父親が心配していた。工夫に工夫をして、一つの方法を考え出した。その父親は大量に里芋を買収して、里芋の煉瓦を作り始めた。そして、この煉瓦で家を建てた。十年後、父親が死ぬ前に、「私が死んだ後、もしお前が貧乏になったら、すべての財産を売ってもかまわない。ただし、この家は売ってはいけない。この家は食べられるよ」と息子に再三言い聞かせた。老人が亡くなった後、息子は確かに貧乏になった。すべての財産を売り出した。仕方がなく、この家で暮していた。丁度、その年から飢饉に遭って、何の食べ物もなかった。息子は突然父親の話を思い出した。家の煉瓦を食べてみたら、飢えを満たせたうえに、美味しい味がした。彼はほかの村民に配り、皆助かった。

奉化の里芋は品種が多い。畑の里芋を「旱里芋」と呼び、水田の里芋を「水里芋」と呼ぶ。品種は香広芋、烏脚鶏、黄粉箕、大芋、紅芋など、そのうち紅芋が最も有名で、俗称で奉化里芋と呼ばれる。

奉化里芋は、土壌にやさしく、栽培しやすい。奉化蕭王廟は、気候が温和で、土壌は肥沃である。そして、沙地のため、里芋は皮が薄く、円い、大きい、褐色で、つるつるしている。煮て食べると香りがする。重さは1個1キロ余りあり、大きいのは一個2キロ余りある。収穫は8月上旬、皮を乾燥して保存する。食べ方はいろいろある。焼き、蒸し、煮、茹でることなどがある。スープにしても良い。里芋を切って、家鴨と一緒に煮込んで、「家鴨芋」という特別な料理ができる。それは、渓口人にとって、毎年中秋節の食卓に欠かせない料理である。また、客を奢る美味料理であろう。

奉化里芋の名は遠く伝わっている。20世紀30年代には、珍品として上海で人気を呼んでいる。全国各地の人々が、奉化渓口から仕入れ、特に香港?マカオ?台湾と東南アジアに居住している奉化人が、帰省の際、必ず奉化の里芋を持ち帰って、故郷への思いを慰める。

高菜漬物

寧波は土地が肥沃で、雨が多い。昔から、秋と冬には高菜を栽培してきた。『広群芳譜』によれば、「四明に菜があり、名はセリホン。雪の時、すべての野菜が凍るが、この菜だけ青い。セリホンという名の由来である。味は少し辛いが、漬物に最適。」と説明している。冬と春の間には、新鮮な高菜を選び、漬物にする。それは寧波の伝統の特産物である。

高菜の漬物は、鄞州区東郷邱隘が最も有名である。この地域の高菜漬物の歴史は少なくとも数百年に遡る。現地の農民が秋の肥沃な水田を利用し、高菜を栽培する。それによって、収入も増加する。初めは、ただの漬物として作っていたが、近年、大量に栽培し始めた。栽培面積は、2000 ムーに達した。一万個以上の甕に入れて、農民たちの一つの重要な収入になっている。更に、工場を作り、小袋で包装し、全国の大都市及び東南アジア?香港などへ販売している。

高菜漬物は色合いが黄色く、柔らかく、特別な香りがする。消化を助け、鮮やかで美味である。香、柔らかい、脆い、新鮮、酸っぱいなどの特徴がある。寧波地域では、「三日高菜を食わないと、足が草臥れる」、「漬物さえあれば、まずい料理にならない」という諺が流行っている。清代の詩人である李鄴嗣が『鄮東竹枝詞』には、次のように高菜を賞賛した。

「緑色の高菜に酢をかけると赤くなり、香って美味しい。いくら金銀のような野菜でも、我が故郷の高菜に及ばず」。

高菜漬物の作り方は、冬と春の新鮮な高菜を選び、収穫後、2~4 時間ぐらい乾して、根と余計な菜を取ってから、甕に入れて漬ける。漬け方は、一枚ずつしっかりと重ねて、最後は漬物石を置く。一ヶ月漬けば、食用できるようになる。古詩のように、「菜園からの香が漂い、城南の近くにある学宮の壁、朝の雪から高菜の芽、秋菘と伏姜に勝る」と賛美されている。

高菜は、生でも加工しても、また漬物にしても使える。特に、「いしもちと高菜の煮込み」と「高菜と繊切り肉のスープ」が寧波の有名な料理である。

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